最初に
この件について語るのは新熊先生の遺作となる「後宮のアルハザード」が世に出てからと決めていたため遅くなってしまった事をお詫びします。
そしてこのお話を公開するのも青心社の担当編集者さんとお話した上である事をご承知ください。
何故私が
新熊先生の訃報について語るのかというと、恐らくですが私が新熊先生に一番近い友人関係にあったからです。思い出を交えてお話ししようと思いますので、少々長くなりますがお付き合いいただけたらと思います。
最初の思い出
最初にコンタクトを取ったのはもう十数年も前の事になります。Twitter(現X)を始めたばかりの私は「誰か有名人を探してみよう」と思い立ち検索しようとするも、特に芸能人を追いかけるつもりもなく(そもそも芸能人に興味を持つ性格でもない)、誰を探そうかと考えた時。ふと昔購入した「暗黒神話大系クトゥルー」の巻末にあった日本人作家を探してみようと思い立ちました。「アルハザードの遺産」「アルハザードの逆襲」の広告にあった名前。それが新熊昇先生でした。
検索してみると見事ヒット。「おお、まだ活動してるんだ」と失礼な事を考えながらツイートを見ると何やらクトゥルー神話の邪神について失念しておいでのよう。たまたま私は記憶している事だったのでメッセージを送り、フォローしておきました。するとすぐさまフォローバックとお礼のメッセージが届くじゃありませんか。「気さくな方なんだな」と思いながら形式どおりの返事を送り、その日はそれで終わりました。
が、翌日の朝。Twitterの通知があったので開いてみると、新熊先生からメッセージが届いているじゃありませんか。驚いて開くと普通に朝の挨拶。「フットワークが軽いなぁ」と感心しながら返信した私は、これが十年以上にわたって「ほぼ毎日」続くやり取りになろうとは思っても居ませんでした。
猫が好き
どうやら私たちは「クトゥルー神話と猫が大好き」という共通点があると判明しました。そう、私も新熊先生も共にTwitterのアイコンが「昔飼っていた猫の写真」だったんです。多分ですが、そこからシンパシーを感じておられたんじゃないかと思っています。
その頃の私はまだ「小説家になろう」で創作を始めたばかりで、小説の作法も全然分かっておらず、以前やっていたblogの延長という感じでやっていました。コメントでその辺りを指摘され、ネットで調べて直してまた投稿して……という日々。たしか何作かクトゥルー物を書いた頃の出会いでした。
その後もやり取りを重ねるうち、新熊先生から「作品の感想」を求められるようになりました。最初はやはり遠慮しましたが、なんだかんだで感想をお伝えするようになります。たしかその時、先生は吉田松陰か誰かの名言を引用しておいででした。ハッキリと覚えておけばよかったなぁ……。
最初に感想をお伝えしたのは本にはなっていない「ウルタール猫軍団」という作品だったと記憶しています。先生のサイト「ウィアードテイルズ贋作展」にはあったかも知れませんが、もうサイトは閉鎖されているのが残念です。
その後も「関西魂」に掲載する作品や、単行本「冥王の刻印」や「黒い碑の魔人」、青心社さんのクトゥルー神話アンソロジー集でお手伝いするようになっていきました。細かい描写の追加やアクションの加筆などが主な感じです。近年の新熊作品にアクション場面が出てきたのはその為です。また私の天文趣味の影響か、「ウマル皇子の天球儀」など、天文関係のネタを入れた話も出来ていきました。この作品の仮タイトルは「闇のアストロラーベ」でした。アストロラーベは昔の天文観測用の器具で、「う~ん、これをテーマにされても使った事無いし……」とお伝えしたところ、アストロラーベでなく天球儀なら分からなくもないということでタイトル込みで変わっていった作品になりました。
生粋の猫好き
そうこうする中で先生は迷い猫を引き取って面倒を見たり、その猫が子供を生んでも捨てたりはせず育てたりと猫好きを遺憾なく発揮しておられました。そして知り合って二年くらい経った頃でしょうか、難しい皮膚病を患っておられる新熊先生は皮膚癌を宣告されたのです。その時は「治療をせず自然に任せていこうと思う」と仰いました。ご本人の意思を尊重するべきだったのかも知れませんが、私は反対しました。「ご家族やファンが悲しむ事をお考えください」と。先生は治療を受ける事を了承してくださり、その間だけは毎日のメールが止む事になりました。猫の世話はご家族にお任せする事になったと記憶しています。
思えばこの時だけ……でしたね、やり取りがなかったのは。
退院後はまた普段のやり取りに戻りました。月に一度は通院して経過観察と生存確認をしておられました。
この後ぐらいから本格的にお手伝いするようになっていったと記憶しています。
作中に出演する事に
一番印象に残っているのは「黒い碑の魔人」の時ですね。私にゲスト出演してくれとのお言葉をいただきました。嬉しいやら恥ずかしいやらでしたが快諾すると、「ではキャラクターの名前を三パターン考えてくれ」とのお言葉。そのパターンというのが日本語風・英語風・アラビア語風というものでした。
日本語・英語はともかく……アラビア語風? これは困りました。正直馴染みがありません。どうしたものか……と頭を悩ませているとピンときました。私の趣味の一つ、天体写真撮影の中の知識にある! 星の名前にはアラビア語起源の物が多々あるんです!
星の名前をキャラクターの名前にするのはよくある事。特に一昔前は。ならば問題は無し! しかしシリウスやアンタレスなどはとうに使い古された感が強いので聞き慣れない、インパクトのある名前にしなければ。そしてカッコ良く強そうな響きの名前に。
そうして紐解いていると良い名前が見つかりました。それは「ラス・アルゲティ」。ヘラクレス座のアルファ星につけられた名前。意味は「跪くものの頭」だそうです。
このラス・アルゲティは本来ゲストキャラだったんですが、私が設定を作り動かしているうちにどんどん濃いキャラになってしまい、新熊先生も気に入ってくださったのか主人公のアイリーンが霞むようになってしまいました。本末転倒ですよね。アルゲティの台詞やアクションは殆ど私が書いていました。一人称が「拙者」になったのは新熊先生の案です。新熊ワールドらしくていいと思いそのまま行っています。
この作品の仮タイトルは「黒い碑の地下神殿」でしたが、いつの間にか「黒い碑の魔人」に変わっていたのは正直驚きました。が、「いいんだろうか……でも自分が口を出すような事じゃないし……」とそのまま受け入れる事に。
発売のすぐ後、ラス・アルゲティを主人公にしたスピンオフを書いて欲しいと先生から依頼されました。仰るには私の作品のファンが買ってくれるんじゃないかとの事。貢献出来るかどうかは不明でしたが、漠然とした設定自体は考えていたので「ある程度は書けます」と承諾。ですが勝手に書いたと思われるとアレなので、先生のサイト「ウィアードテイルズ贋作展」の中で公認する旨を公表していただき、「小説家になろう」内で「東方妖異伝」としてラス・アルゲティの過去を一気に書き上げました。「黒い碑の魔人」の中で使っている「身辺浄化の術」はここで学んだ事になっています。こうして「アイリーン・ウェスト三部作」は完結したのでした。


思い出の作品です。ご興味がおありの方はどうぞ。
初対面
直接新熊先生とお会い出来たのは一回だけでした。まだ娘が小さい頃に大阪のイベントに行く事になり、その事をお伝えすると「じゃぁ少し会えたら」との事で、大阪駅で落ち合う事になりました。駅内の本屋さんで待ち合わせ(物書きらしくていいですよね)、お好み焼き屋さんで2時間くらいだったか談笑しました。イメージどおりの穏やかで優しい方でした。
今思えばもっとお目にかかっておけば良かったなぁ……。こちら(岡山)にお越しいただけたら私の作品の舞台になった(先生から最初にご感想をいただいた作品)場所をご案内したいと思いながらも実現できませんでした。今気付いたんですが、大阪・岡山コンビってB’zのお二人と同じなんですよね。あんな男前コンビじゃありませんが……。
先生が「ラヴクラフト聖誕祭」にゲスト出演を依頼された際、先生は辞退するおつもりでした。皮膚病のせいで夏場の外出はかなりしんどかったからです。ですが、本の宣伝をするまたとないチャンス。ここは移動時刻を早くするとか途中のコンビニで休憩をとるとか、対策を複数考えた上での出演をお勧めしました。先生もご承知くださって無事に出演となり、売り上げに貢献できた……なら嬉しいんですが。思い出を書いて行けばキリがありません。私が映画を観に行けば感想とお客さんの入り具合を気にしておいででしたし、天体写真をTwitterにアップすればご感想をいただいていました。
今はもう、映画を観ても「ああ、もう先生にお伝え出来ないんだな……」と寂しくなってしまいます。
趣味でやっている天文同好会で作っているカレンダーや展覧会の作品を掲載した写真集も作る度にお送りしていました。お褒めの言葉をいただいて喜んでいたのを懐かしく思いだしています。
運命の一年
先生の最後の一年は今もハッキリと覚えています。春先くらいから一気に二本の作品を書き上げておられました。「関西魂」と今回の「クトゥルーVS悪役令嬢」です。特に後者の方は先生の方から書きたいと申し出ておられたと記憶しています。「関西魂」の方を書いてからすぐにもう一つ書くとの事で、「おお、凄いやる気だ。これはこちらも気合いを入れねば」と驚きました。元々そんなに多作な方ではありませんでしたし。ただ、今思えば少し気になる事もありました。いつもなら私が矛盾やおかしな点を指摘した箇所はすぐに修正なさるのに、この時はなかなか修正されない事が何度もありました。
もしかした既にこの頃から体調がよくなかったのかも知れません。もっと早く気付けばよかったんですが……。
八月の終わりくらいから明らかな体調の変化を話しておいででした。テレビやラジオの音を大きくしないと聞こえなくなったとか、腰が酷く痛むと思っていたら上から三番目の腰椎が折れていたとか。
私には心配する事しか出来ませんでした。
そして2024年9月17日。「おしっこが黒褐色なのはビビりました」とのメッセージが。これはヤバい! 血尿かも! と思ってメッセージを送りました。すると先生は翌日タクシーで通院するつもりだとの事。
少し安心したんですが、これが間違いでした。今思えばもっと強く、もっと早く病院に行くようお勧めするべきでした……。
9月18日朝に来たそのメッセージ以降連絡が取れなくなってしまいました。夜勤週でもあった私はお見舞いのメッセージを送る事しか出来ないまま。
その土曜日は天文同好会の合宿でしたが、先生からの連絡はないままでした。不安が増した私は出発前に先生の担当編集者さんにお電話して事情をお話しました。担当さんは先生の体調はご存じなかった事を記憶しています。そして予定を変更して先生のご自宅へ向かってくださるとの事で、少し落ち着いて合宿へと向かう事ができました。そこで先生の作品が掲載された「関西魂」の宣伝をさせてもらったところでメールの着信が。開いてみると新熊先生からです。
タイトルに「癌が再発して緊急入院」の文字が。本文には「痛い」と一言だけ。
息が止まりました。
合宿の会場を抜け出してどうしようか迷った末に、思い切って先生のケータイに電話を入れてみました。非常識なのは分かっていましたが、「ちょっと待ってよ。いきなりこれはないよ」と思って。でも繋がりません。担当さんに電話をすると今先生のご自宅に向かっている最中とのこと。メールの内容を伝えるとやはり驚いておられました。
「取りあえず今出来る事は祈る事だけ」というアドバイスをいただき、沈んだ気持ちのままで合宿参加をを続けました。少し経ってから担当さんから電話があり、「後宮のアルハザード」の著者校正を私にお願いしたいとの言伝がある事を聞かされました。それと前後して(この辺りは記憶があやふやです。すいません)先生から再びメールが届き、タイトルは「今までありがとうございました」。本文は「後の事はお願いします」と。それを読んだ後に、もう一度だけ電話をかけてみました。一言だけでもいいから声が聞きたくて。でもやはり繋がりません。
諦めて担当さんに電話したか、かかってきたかハッキリとは覚えていません。そこで著者校正をやってくれないかと依頼されました。正直、自分がやっていいのか迷いました。でも言伝を残していたと言う事は私を信頼してくれていると言う事だと解釈して引き受ける事にしました。ずっとお手伝いしてきたわけですし、この作品にも深く携わっています。きっと新熊作品のまま直すのは私にしか出来ないと思い引き受けました。
なによりも人生最後の作品を託された以上、そして正真正銘の「命がけのバトン」を渡された以上は受け取って走りきるしかありません。
原稿料も半分私にということでしたが、僅かではあるけど先生の治療費に充てて欲しい旨をお伝えしました。が、担当さんは「新熊先生は知ってのとおりとても優しい方だから、きっと受け取って欲しいと思っているんじゃないか」との事。確かにそう仰るだろうと納得して、有り難く受け取る事にしました。
そして校正の内容が送られてきたのはしばらく経ってからの事でした。その日は金曜日で、天文同好会の観望会(星を見る会)がある夜。ざっと目を通すと……短編ながらガッツリとあります。締め切りは再来週の月曜日。11月18日です。これは困りました。翌日の土曜日は友人達と高知の友人宅を訪れる予定。そしてなにより翌週は本業の会社員として夜勤週。実質的に丸一週間しかありません。これは地獄スケジュールになる事が確定しました。
ぼやいていても何も進みません。兎に角レットブルやモンスターエナジーを買い込み、毎朝一気飲みして出勤するようになりました。出勤前にギリギリまで直し、帰宅後は眠気で頭が回らなくなるまで作業する日々。「先生は毎回こんな事をやっておられたのか……」と思いながらやっていました。しかし初めてでは思う様には進みません。最後には会社に自分のノートpcを持ち込み、休憩時間も作業に充てていました。そして土曜日。担当さんに聞きたい事とお願いしたい事(締め切りの延長ではありませんので念のため)があって電話したところ、病気で寝込んでいるとの事。この仕事はどうなっているんだと思いながらも、解答をいただいてなんとかその夜に仕上がりました。
そして。
新熊先生は締め切り当日、11月18日の朝に永眠なさいました。この事は私も後日になって担当さんから聞きました。それまでも何度か先生のご容態について尋ねていました。せめて最期のお見送りだけでもしたかったんですが、叶いませんでした……。ご本人の希望で家族葬になっていたそうです。締め切り当日の朝というのが真面目な新熊先生らしいよな……と思いながらそっと手を合わせました。
先生は生前「僕が死んだら猫達を守る仏様になりたい」と仰いました。「ああ、それ私もなりたいです」と冗談で私もお返事した事を覚えています。きっと今頃は猫仏になるべく頑張っておられることでしょう。いや、もしかしたらとっくになっておいでかも。
先生の訃報を聞いた時、天に召された私の愛猫ミーコに「お世話になった人がそっちに行っちゃったから、先輩として色々と教えてあげてくれ。めっちゃいい人だから」と祈ったのを覚えています。
余談ですが、原稿のエピローグに少しだけ追加させてもらいました。校正作業が仕上がった夜に見える惑星の位置を。モニュメントと言ったら大袈裟かも知れませんが、一緒に書いた最後の作品としてなにか残したいと思って。
きっと先生も笑って許してくださるんじゃないかと勝手に思っています。
どうも話があっちこっちにブレてしまいましたが、これが私の知る新熊先生の訃報に関する全てです。先生のお人柄が少しでも伝わってくれると嬉しく思います。
新熊先生の遺作が収録されたこの本を一人でも多くの方に読んで、楽しんでいただけたらなと思います。

最後になりましたが、改めて新熊登先生のご冥福をお祈りいたします。

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